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【裁判例】医師2名が立会っても公正証書遺言が無効になった事例
「認知症の親が遺言を遺したいと言っているが、法的に有効なのだろうか…」
「公正証書にして、医師に立ち会ってもらえば、さすがに安心だろう」
ご家族を想うからこそ、多くの方がこのように考え、万全を期そうとされます。しかし、その「万全」が、法廷では覆されることがあるのをご存じでしょうか。
実際に、医師2名が立ち会って作成された公正証書遺言についても、後の裁判で無効と判断された事例が存在します(東京地判令和6年9月11日)。
なぜ、形式的には完璧に見える遺言が無効になったのでしょうか。裁判所は、以下の点を問題視しました。
- 立会った医師は遺言者の主治医ではなく、短時間の診察しかしていない
- 認知機能テストの結果は良好だったが、質問への応答が誘導的であった疑いがある
- 遺言の内容が、遺言者の生前の言動と大きく矛盾していた
この事例は、私たちに極めて重要な教訓を与えてくれます。それは、認知症の方の遺言能力の問題は、単に形式を整えるだけでは解決しない、ということです。裁判所は、作成当日の表面的なやり取りだけでなく、それまでの医学的記録や本人の言動、遺言内容の合理性などを総合的に見て、遺言者の「真の意思」がそこにあったのかを厳格に判断します。安易な対策は、かえって将来の紛争の火種となり、遺言の無効事由として争われるリスクを抱えることになるのです。
本記事では、認知症と遺言能力をめぐるこの複雑な問題について、裁判所の判断基準、有効性・無効性を左右する証拠の集め方、そして将来のトラブルを防ぐための具体的な方法を、判例を交えながら専門家の視点で徹底的に解説します。
そもそも「遺言能力」とは?認知症=無効ではない理由
「認知症」と診断された事実だけで、直ちに遺言が無効になるわけではありません。法律の世界で問われるのは、病名ではなく、遺言書を作成したその瞬間に「遺言能力」があったかどうか、という点です。
遺言能力とは、簡単に言えば「自分が作成する遺言の内容と、それによってどのような法的な結果が生じるのかを理解できる能力」を指します。
例えば、「長男に自宅不動産を相続させる」という遺言を遺す場合、
- 自分がどの財産(自宅不動産)を所有しているか
- 誰に(長男に)その財産を渡そうとしているか
- その結果、他の相続人ではなく長男が自宅を取得することになる
といった事柄を、他人の助けなしに理解し、判断できる能力が必要です。
ここで重要なのは、認知症の症状には波があり、常に判断能力が失われているわけではない、という点です。症状が軽い時間帯や、調子の良い日には、一時的に判断能力が回復することもあります(これを「ルシッド・インターバル(意識清明期)」と呼ぶことがあります)。裁判所は、遺言作成時の状態をピンポイントで評価するため、「認知症だから即無効」という単純な結論には至りません。
また、遺言能力の有無は、遺言内容の複雑さとも深く関係します。「全財産を妻に相続させる」といった単純な内容であれば比較的低い能力で足りますが、複数の財産を複数の相続人に複雑な割合で配分するような遺言では、より高い判断能力が求められます。このように、遺言能力は画一的に判断できるものではなく、個々の事案ごとに慎重に検討されるべき問題なのです。なお、相続人に認知症の方がいる場合の遺産分割協議は、また別の問題となるため注意が必要です。
裁判所はどう判断する?遺言能力を左右する2大要素

では、具体的に裁判所はどのような証拠をもとに遺言能力の有無を判断するのでしょうか。遺言の効力を巡る争いでは、大きく分けて「医学的証拠」と「遺言作成をめぐる客観的状況」という2つの側面から、遺言作成時の遺言者の精神状態を総合的に評価します。これらは、どちらか一方だけでは不十分であり、両者を組み合わせることで初めて、遺言者の真意に迫ることができるのです。
①医学的証拠:カルテ・診断書・検査結果から何がわかるか
遺言者の認知機能の状態を示す客観的な証拠として、医学的証拠は極めて重要です。弁護士が関与する場合、まずこれらの証拠の収集から着手します。
- 医師の診断書・カルテ(診療録):遺言作成前後の時期の診察記録は、判断能力を推認する上で最も基本的な資料です。医師が遺言者の言動や状態をどう記録しているか、認知症の進行度についてどのような所見を持っているかが記載されています。
- 看護記録・介護記録:入院中や施設入所中の場合、看護師や介護士が日々記録する言動や日常の様子は、より実態に近い判断材料となります。「日付が分からなくなっている」「家族の顔が認識できないことがある」といった具体的な記述は、有力な証拠となり得ます。
- 認知機能検査の結果:長谷川式認知症スケール(HDS-R)やMMSEといった検査の点数は、認知機能の低下を客観的な数値で示すものです。ただし、裁判所は点数のみで機械的に判断するわけではありません。検査当日の体調や環境にも左右されるため、あくまで判断材料の一つとして扱われます。
- 脳の画像検査(VSRADなど):脳の萎縮度を示す画像検査の結果は、アルツハイマー型認知症の可能性を示す補助的な証拠となります。
- 処方されていた薬剤:アリセプトやメマリーといった抗認知症薬が処方されていた事実は、医師が認知症と診断していたことを裏付ける証拠になります。
これらの医学的証拠は、遺言作成時点の判断能力を直接証明するものではありませんが、その周辺の時期における遺言者の精神状態を客観的に描き出し、裁判官の心証形成に大きな影響を与えます。
参照:改訂長谷川式簡易知能評価スケール (HDS-R)の理解と活用
②客観的状況:遺言内容・作成経緯・本人の言動の評価
医学的証拠を補完するのが、遺言作成前後の様々な客観的状況です。裁判所は、これらの状況から「遺言者の真意」が合理的に推認できるかを慎重に吟味します。
- 遺言内容の合理性・複雑性:なぜその遺言内容になったのか、生前の遺言者の人間関係や言動と矛盾しないか、が問われます。例えば、生前非常に仲の良かった子を排して、疎遠だった子に全財産を相続させるような不自然な内容の場合、その合理的な理由がなければ真意が疑われることになります。また、前述の通り、内容が複雑であればあるほど、高い遺言能力が要求されます。
- 作成経緯の自然さ:遺言作成のプロセスに、特定の相続人が不当に介入していなかったかは、極めて重要なポイントです。例えば、特定の相続人が一人だけ付き添って公証役場に行き、他の相続人には秘密にしていた、といった事情は、遺言者の意思が自由に表明されたものではないとの疑念を抱かせます。
- 本人の言動の一貫性:遺言作成前後の本人の言動は、判断能力を推し量る上で貴重な情報源となります。日記、手紙、メール、あるいは親族や友人、ヘルパーとの会話内容などが証拠となり得ます。特に、普段の筆跡と自筆証書遺言の筆跡が大きく異なる場合、本人の意思に基づかない作成を疑わせる有力な証拠となることがあります。
裁判所は、これらの医学的証拠と客観的状況を相互に照らし合わせ、遺言作成時に遺言者が本当に自分の意思で遺言を遺したのかを総合的に判断するのです。
【実践】遺言能力を証明・反証するための証拠の集め方
これまで解説してきた理論を踏まえ、ここではより実践的な証拠収集の方法について解説します。遺言の有効性を守りたい側(生前)と、無効を主張したい側(死後)では、取るべきアプローチが大きく異なります。

有効な遺言を残すために「生前に」できること
将来、「遺言能力がなかった」として遺言内容に納得できない他の相続人から争われることを防ぐためには、生前の準備が何よりも重要です。これは、遺言者の明確な意思を相続人に伝え、将来の紛争を防ぐための重要な準備です。
- 公正証書遺言を選択する
自筆証書遺言と異なり、公証人が遺言者の本人確認と意思確認を厳格に行うため、方式の不備で無効になるリスクを低減できます。また、公証人が関与したという事実自体が、遺言能力があったことの間接的な証拠となります。 - 遺言作成直前に医師の診断書を取得する
かかりつけ医や専門医に診察を受け、「遺言能力に支障なし」という内容の診断書を作成してもらうことは、極めて有効な対策です。日付が遺言作成日に近ければ近いほど、証拠価値は高まります。 - 作成時の様子を動画で記録する
公証人や弁護士とのやり取り、遺言内容を自らの口で説明する様子などを録画・録音しておくことも有力な証拠となります。ただし、特定の相続人が誘導尋問のように話しかける映像は逆効果になりかねません。あくまで本人の自発的な意思が記録されるよう注意が必要です。 - 遺言内容はシンプルにし、付言事項を活用する
遺言内容はできるだけ簡潔にし、判断能力への疑念を招かないようにします。そして、「なぜこのような遺産分割にしたのか」という理由や家族への想いを「付言事項」として書き添えることで、遺言内容の合理性を補強し、相続人間の感情的な対立を和らげる効果も期待できます。 - 弁護士に相談し、客観的な立場で関与してもらう
相続問題に精通した弁護士に相談し、遺言作成のプロセス全体に関与してもらうことで、法的に有効な遺言を作成できるだけでなく、将来の紛争を見越した客観的な証拠を残すことができます。相続トラブルを防ぐための遺言書作成において、専門家の関与は非常に重要です。
遺言の無効を主張するために「死後に」集めるべき証拠
遺言者の死後、遺された遺言の有効性に強い疑念を抱いた場合、速やかに証拠収集に着手する必要があります。遺言の効力を巡る争いでは、早期に証拠を確保することが重要です。
- 医療記録の開示請求
相続人であれば、弁護士を通じて医療機関に対し、カルテ(診療録)や看護記録、各種検査結果の開示を請求することができます。これは、遺言者の生前の精神状態を客観的に把握するための第一歩です。 - 介護関連資料の収集
要介護認定を受けていた場合、市区町村役場に対して介護認定調査票や主治医意見書の開示請求が可能です。また、介護施設に入所していた場合は、施設に対してケアプランや介護記録の開示を求めます。 - 関係者からの聞き取りと陳述書の作成
遺言者と生前親しくしていた親族、友人、介護ヘルパーなどから、当時の遺言者の言動や様子について具体的な話を聞き、それを「陳述書」という形で書面にまとめ、署名・捺印をもらいます。これらの証言は、裁判において重要な「人証」となります。
これらの証拠を時系列に沿って整理し、遺言作成日時点において、遺言者が遺言内容を理解できる状態になかったことを論理的に立証していくことが、遺言無効を主張する上での戦略となります。
判例から学ぶ、遺言能力判断の分かれ目

最後に、実際の裁判例を参考に、どのような事実が遺言能力の判断を分けるのかを見ていきましょう。理論だけでなく、具体的な事例を知ることで、より深くこの問題を理解することができます。
【有効と判断された事例】単純な内容と一貫した意思表示
アルツハイマー型認知症と診断されていた遺言者が作成した公正証書遺言が有効とされた事例があります(東京地判 令和4年7月20日)
この裁判で、裁判所は以下の点を重視しました。
- 長年被相続人と受遺者が同居生活を行っており、他方で原告は没交渉期間があったこと。
- 弁護士の法律相談を受け、遺言書の下書きのチェックを受けていること。
- 同人誌に俳句を投稿していたこと。
- 医学的所見としても、認知症の症状は初期段階に留まっていたこと。
このように、認知症と診断されていても、初期段階であり、遺言内容が合理的なものであれば、遺言能力は肯定されやすい傾向にあります。
【無効と判断された事例】不自然な内容と周囲の不当な関与
一方で、公正証書遺言であっても無効と判断されるケースは少なくありません。
ある裁判例(東京高判平成22年7月15日判タ1336号241頁)では、長年にわたり遺言者の介護をしてきた相続人ではなく、ほとんど交流のなかった者に全財産を相続させるという内容の公正証書遺言が無効とされました。
以下のような事実関係の事案です。
- 遺言作成の約半年前の長谷川式簡易知能スケールの点数は20点であり、認知症であることを示していた。
- 遺言の内容は,長年遺言者と同居して介護に当たり,養子縁組もしている被控訴人らに一切の財産を相続させず,控訴人に遺贈するという内容であった。
- 特に遺言者の財産に属する本件不動産には被控訴人らが居住していた。
- 遺言作成から一年後の診断において、認知症を発症しており,知的能力は低く,判断力はほとんどなく,理解・判断力は極めて障害されているが,言葉の受け答えはする,長谷川式簡易知能スケール11点とされていた。
この事例は、冒頭で紹介したケースと同様に、たとえ公正証書という形式を整えても、その実質が伴っていなければ、裁判所は遺言者の真意を保護するために無効の判断を下すことを示しています。
まとめ|遺言能力の不安は弁護士への早期相談が重要
本記事で解説してきたように、認知症の方の遺言能力の問題は、「認知症だから無効」「公正証書だから有効」といった単純な二元論で割り切れるものではありません。医学的な知見と法的な判断が複雑に交錯し、個々の事案に応じた多角的な証拠収集と分析が不可欠となる、極めて専門的な分野です。
もしあなたが、
- これから親に有効な遺言を遺してほしいと考えている場合
- すでに作成された親の遺言の有効性に疑問を抱いている場合
そのどちらの立場であっても、自己判断で事を進めるのは非常に危険です。不十分な証拠で作成された遺言は将来の紛争の種になりますし、一度失われた証拠を後から集めることは難しくなる場合があります。
最善の解決への近道は、問題の初期段階で、相続問題に精通した弁護士に相談することです。私たち虎ノ門法律経済事務所柏支店は、相続や不動産問題を注力分野としており、豊富な経験と知識を有しています。本店とも密に連携し、複雑な事案にも対応できる体制を整えております。ご家族の想いを法的に確かな形で実現するため、また、あなたの正当な権利を守るために、ぜひ一度、私たちの事務所紹介ページをご覧いただき、お気軽にご相談ください。
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